なんでも平等で良いのでしょうか?
子どもの気持ち - 2015年04月20日 (月)
日本では、学校においても家庭においても平等であること、争わないことが正しいという風潮があります。
確かに良い事だと思うのです。思うのですが、なんでもかんでもそれで良いのか?
と引っかかる部分があるのも確かなんです。
「平等」
なぜ、平等にするのか?というと実は無駄な争いを無くすためですよね。
平等にすれば争いごとが起きないという前提です。
だから、兄弟姉妹であれば、おやつやジュースを平等にわけることを教える。
「平等に分ければ、けんかにならないでしょう!」
という考え方です。
こんな事例があります。
運動会のかけっこで全員を並んでゴールさせると言うと特殊な事だと思うかもしれません。 しかし、都内の8割の学校がかけっこの順位を付けないといわれればなるほどと思うと思います。
しかし、これって本当に争いにならないのでしょうか?
私は何度も「平等」をめぐっての争いを見てきました。
弟「お姉ちゃんの方が多い!」
姉「〇〇君は昨日ジュース飲んだ!私は昨日飲んでないから今日は多いの!」
弟「昨日は昨日だ!飲まないのが悪い!」
そして、お互いの不平等さを親に報告してくるのです。
平等にすることで争いがなくなるどころか、平等をめぐって争いが起きているのです!
また、世の中には平等に分けられない事もあります。
お父さんは3人には分けられませんよね。
胸から上はお兄ちゃん!
胸から腰までは弟!
腰から下は妹!
と分けることはできません。(病院行です)
ペットもそうですね!
犬を飼うたびに子どもたちの人数分の犬を飼うことは非現実的です。
さて、私がなぜこの記事を書こうと思ったのか?
実は私の次男の行動と言葉にあります。
ある、サッカースクールに次男と行ってきたのですが、その練習メニューでリフティングがありました。
コーチが、
「自由にリフティングしてみよう!ワンバウンドでもいいよ!」
と言って始まりました。
次男は連続でリフティングができるのですが・・・。
見ていると連続でもしないし、ワンバウンドでもミスをしている。
緊張してるのかな?と思い練習後聞いてみました。
「リフティングの時緊張してたの?足震えてた?」
その答えに本当にびっくりしました!
「周りの子がうまくなかったから、合わせた方が良いかな?と思ってわざと下手にした!」
これが、平等教育の弊害とは言い切れません!
しかし、他にもこんな場面もよく見ます!
コーチがドリブル練習で「早くもっとスピードを上げて!」と指導しても、
スピードを上げない子がいると、なぜかそのレベルに合わせるかのようにまた遅くなるのです!
何度言っても徐々にスピードを上げない子のスピードに集団のスピードが落ちていく場面を何度も見ました。
話を変えてブラジルの少年サッカーの話をします。
ブラジルのサッカー少年に安定という言葉は一切ありません!
何故ならばトップチームの10番を背負う選手(レギュラー)が、今日入ってきた新しい選手と入れ替えられることが日常だからです。
そして、世界を見渡せばスポーツの世界でもビジネスの世界でも平等では勝ち抜くことはできません。
自分の事より他人を思う気持ちは大事です。しかし、ブラジルの人が他人を思いやらないということはないですよね?
私が子どもの頃は運動会で順位によっておやつが貰えました。
最近の若いもんはダメだ!みたいになってますが・・・。
もっと、強さを持って他人を思いやれる教育の方法があるのではないか?と何だか心配になったのです。
すいません今回は私なりの答えはまだ出ていません。
皆さんはどのようにお考えでしょうか?聞かせていただければありがたいです!
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
追記
確かに良い事だと思うのです。思うのですが、なんでもかんでもそれで良いのか?
と引っかかる部分があるのも確かなんです。
「平等」
なぜ、平等にするのか?というと実は無駄な争いを無くすためですよね。
平等にすれば争いごとが起きないという前提です。
だから、兄弟姉妹であれば、おやつやジュースを平等にわけることを教える。
「平等に分ければ、けんかにならないでしょう!」
という考え方です。
こんな事例があります。

運動会のかけっこで全員を並んでゴールさせると言うと特殊な事だと思うかもしれません。 しかし、都内の8割の学校がかけっこの順位を付けないといわれればなるほどと思うと思います。
しかし、これって本当に争いにならないのでしょうか?
私は何度も「平等」をめぐっての争いを見てきました。
弟「お姉ちゃんの方が多い!」
姉「〇〇君は昨日ジュース飲んだ!私は昨日飲んでないから今日は多いの!」
弟「昨日は昨日だ!飲まないのが悪い!」
そして、お互いの不平等さを親に報告してくるのです。
平等にすることで争いがなくなるどころか、平等をめぐって争いが起きているのです!
また、世の中には平等に分けられない事もあります。
お父さんは3人には分けられませんよね。
胸から上はお兄ちゃん!
胸から腰までは弟!
腰から下は妹!
と分けることはできません。(病院行です)
ペットもそうですね!
犬を飼うたびに子どもたちの人数分の犬を飼うことは非現実的です。
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さて、私がなぜこの記事を書こうと思ったのか?
実は私の次男の行動と言葉にあります。
ある、サッカースクールに次男と行ってきたのですが、その練習メニューでリフティングがありました。
コーチが、
「自由にリフティングしてみよう!ワンバウンドでもいいよ!」
と言って始まりました。
次男は連続でリフティングができるのですが・・・。
見ていると連続でもしないし、ワンバウンドでもミスをしている。
緊張してるのかな?と思い練習後聞いてみました。
「リフティングの時緊張してたの?足震えてた?」
その答えに本当にびっくりしました!
「周りの子がうまくなかったから、合わせた方が良いかな?と思ってわざと下手にした!」
これが、平等教育の弊害とは言い切れません!
しかし、他にもこんな場面もよく見ます!
コーチがドリブル練習で「早くもっとスピードを上げて!」と指導しても、
スピードを上げない子がいると、なぜかそのレベルに合わせるかのようにまた遅くなるのです!
何度言っても徐々にスピードを上げない子のスピードに集団のスピードが落ちていく場面を何度も見ました。
話を変えてブラジルの少年サッカーの話をします。
ブラジルのサッカー少年に安定という言葉は一切ありません!
何故ならばトップチームの10番を背負う選手(レギュラー)が、今日入ってきた新しい選手と入れ替えられることが日常だからです。
そして、世界を見渡せばスポーツの世界でもビジネスの世界でも平等では勝ち抜くことはできません。
自分の事より他人を思う気持ちは大事です。しかし、ブラジルの人が他人を思いやらないということはないですよね?
私が子どもの頃は運動会で順位によっておやつが貰えました。
最近の若いもんはダメだ!みたいになってますが・・・。
もっと、強さを持って他人を思いやれる教育の方法があるのではないか?と何だか心配になったのです。
すいません今回は私なりの答えはまだ出ていません。
皆さんはどのようにお考えでしょうか?聞かせていただければありがたいです!
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
ケンさんコメントありがとうございました。
確かに子どもを見る目は常に平等であるべきだと私も思います。
あと私はどうしても勝ち負けにこだわる試合以外は平等にチャンスを与えて欲しいなと思うのですがどうでしょうか?
でも、リーグ戦も全日の予選を兼ねるとリーグ戦も負けれないかもですね!
貴重なご意見ありがとうございます!
それでは、お子様のご活躍に期待しております!
高橋正彦様コメントありがとうございました。
私も日々の努力がない選手に出場機会を均等にすることが平等とは思いません同感です。
不平等だからこそ「頑張れる!」
平等だからこそ、「頑張る意味がないと感じる」
以前勤めていた会社で営業マンの給料が成果制から完全固定に変わった後、みるみるうちに業績が悪化したことがあります。まさに、やるだけ損という構図だったと思います。
ただ、少年サッカーの場合は実戦でプレーすることによって努力したことが自分のものになるという瞬間があると思うのです。
努力が日の目をみる瞬間なのではないかと思います。その意味で「成長できるチャンス」は平等にと思っています。
明らかに努力をしない子に対しては指導者は個別になぜ試合に出せないのかを説明することが大事だと思っています。
また、プロサッカー選手という道に進むのであれば、実力主義で選別されることは当然なことだと思います。
高橋様、今回は貴重なご意見ありがとうございました。
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