自分で考えて動きだしたら子どもは一気に変わる!
最新指導法②-問いかける教育法 - 2015年06月10日 (水)
普段はいい子なのに、自分の思い通りにいかないと怒りを爆発させ暴れる。
うちの子にもそんな時期がありました。
時には兄弟でけんかになり殴ったり・・・蹴ったり。
目の前の物を投げたり・・・。
どんなに、
「叩いたらダメ!」
「物を投げたらダメ!」
と叱っても責任転嫁する言い訳を並べるだけで一向に反省することすらできず。
たとえ反省したとしても、また同じことをしてしまう状態でした。
いわゆる癇癪持ちの状況に近かったと思います。
そして、ついに学校のお友達と殴り合いになり最後はお友達のお腹を蹴って泣かせてしまいました。
唯一の救いは学校から連絡があったのではなく、本人からの告白で知ったことでした。
(結局学校からの連絡はありませんでした。)
本人が告白してきた理由は、
「先生に全面的にあなたが悪い」と言われたことに納得できていなかったことでした。
些細な事からいざこざになり自分が先に手を出したら反撃されたのでお腹を蹴ったという流れです。
しかも、相手は下級生とのこと。
残念ながら弁解の余地もないほどに全面的に悪い状況です。
どんな理由であれ暴力をふるうことを肯定することはできません。
私は意を決してこう言いました。
「君は相手が死んでしまっても良いと思ったんだね。」
自分でも過激な言い方だとは思いましたが絶対に伝えなければいけないと思いました。
「そんな事は思っていない・・・。」
そう息子は答えました。
「いや、人に暴力をふるうということは、怪我をしたりする可能性があるのに、ましてお腹のような大事なところを蹴るなんて・・・。そう思って蹴ったと同じ事じゃないかな?」
「もし、その子が怪我をしたら、大事に育ててきたお父さんお母さんはどう思う?」
「逆に君が誰かに傷つけられたら、お父さんはとっても悔しいよ。」
それまでの息子であれば、責任転嫁して暴れるところですが、静かに話を聞いていました。
次の日、ホワイトボードに何かを書いている息子を発見!
覗いてみるとそこには、
「なにがあってもひとをたたいたりけったりしない」
と書いていました。
その日から、息子はがらりと変わりました。
何が息子の心に引っかかったのかはわかりませんが、自分で暴力をふるわないと決めてからはあっけないほどに変わることができたのです。
息子小学3年のエピソードでした。
この話で私が伝えたいことは癇癪持ちのお子さんへの対策方法ではありません。
これは、一つの事例にすぎませんからどのお子さんにも適応できることではないと思います。
子どもの成長度、理解度や心の状態によって対応は違うと思います。
ただ、一つ
「気づいて、自分で動きだす」
に導けば子どもは一気に自ら成長するということは事実だと思います。
叱るは
「ダメだよ!」
と行動を制限させるものです。その場だけはやり過ごせます。
気づかせるは
「こうした方が良いんだ!」「こんな方法もあるんだ!」「自分はこう変わりたい!」
と新しい行動を生み出すものなんだと思います。しかし、簡単には気づかせることはできません。
サッカーに置き換えても同じはずです。プレーを制限することよりも新しいプレーを生み出すことが成長につながるのではないかと思います。
ただ、なぜ大人は叱る方を選ぶのか?
それは、叱る方が簡単でその場をやり過ごせるからだと思います。
気づかせるというのは簡単ではなく根気がいることだけは確かなのです。
しかし、叱っても叱っても同じことを繰り返します。でも、気づけば今日から変わるのですから長い目でみれば叱る方が結果的には根気がいるような気がします。
今回はここまでです。最後まで読んでいただいてありがとうございました。
うちの子にもそんな時期がありました。
時には兄弟でけんかになり殴ったり・・・蹴ったり。
目の前の物を投げたり・・・。
どんなに、
「叩いたらダメ!」
「物を投げたらダメ!」
と叱っても責任転嫁する言い訳を並べるだけで一向に反省することすらできず。
たとえ反省したとしても、また同じことをしてしまう状態でした。
いわゆる癇癪持ちの状況に近かったと思います。
そして、ついに学校のお友達と殴り合いになり最後はお友達のお腹を蹴って泣かせてしまいました。
唯一の救いは学校から連絡があったのではなく、本人からの告白で知ったことでした。
(結局学校からの連絡はありませんでした。)
本人が告白してきた理由は、
「先生に全面的にあなたが悪い」と言われたことに納得できていなかったことでした。
些細な事からいざこざになり自分が先に手を出したら反撃されたのでお腹を蹴ったという流れです。
しかも、相手は下級生とのこと。
残念ながら弁解の余地もないほどに全面的に悪い状況です。
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どんな理由であれ暴力をふるうことを肯定することはできません。
私は意を決してこう言いました。
「君は相手が死んでしまっても良いと思ったんだね。」
自分でも過激な言い方だとは思いましたが絶対に伝えなければいけないと思いました。
「そんな事は思っていない・・・。」
そう息子は答えました。
「いや、人に暴力をふるうということは、怪我をしたりする可能性があるのに、ましてお腹のような大事なところを蹴るなんて・・・。そう思って蹴ったと同じ事じゃないかな?」
「もし、その子が怪我をしたら、大事に育ててきたお父さんお母さんはどう思う?」
「逆に君が誰かに傷つけられたら、お父さんはとっても悔しいよ。」
それまでの息子であれば、責任転嫁して暴れるところですが、静かに話を聞いていました。
次の日、ホワイトボードに何かを書いている息子を発見!
覗いてみるとそこには、
「なにがあってもひとをたたいたりけったりしない」
と書いていました。
その日から、息子はがらりと変わりました。
何が息子の心に引っかかったのかはわかりませんが、自分で暴力をふるわないと決めてからはあっけないほどに変わることができたのです。
息子小学3年のエピソードでした。
この話で私が伝えたいことは癇癪持ちのお子さんへの対策方法ではありません。
これは、一つの事例にすぎませんからどのお子さんにも適応できることではないと思います。
子どもの成長度、理解度や心の状態によって対応は違うと思います。
ただ、一つ
「気づいて、自分で動きだす」
に導けば子どもは一気に自ら成長するということは事実だと思います。
叱るは
「ダメだよ!」
と行動を制限させるものです。その場だけはやり過ごせます。
気づかせるは
「こうした方が良いんだ!」「こんな方法もあるんだ!」「自分はこう変わりたい!」
と新しい行動を生み出すものなんだと思います。しかし、簡単には気づかせることはできません。
サッカーに置き換えても同じはずです。プレーを制限することよりも新しいプレーを生み出すことが成長につながるのではないかと思います。
ただ、なぜ大人は叱る方を選ぶのか?
それは、叱る方が簡単でその場をやり過ごせるからだと思います。
気づかせるというのは簡単ではなく根気がいることだけは確かなのです。
しかし、叱っても叱っても同じことを繰り返します。でも、気づけば今日から変わるのですから長い目でみれば叱る方が結果的には根気がいるような気がします。
今回はここまでです。最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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